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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)6575号 判決 1982年5月17日

原告 株式会社赤坂プリンセスコート

被告 国

代理人 野崎彌純 熊谷岩人 ほか一名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し金二七五三万一三〇〇円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  仮執行宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

(事件の経緯)

1 原告は、昭和四九年一月八日、訴外クメール共和国から、東京都港区赤坂八丁目二〇六番二宅地五三〇六・八四平方メートル(以下本件土地という)を買い受けた。その際、右物件の引渡及び移転登記は三年後に行うことが合意された。

2 昭和五〇年四月一七日、右クメール共和国の政権が崩壊してカンボデイア連合王国となり、さらに昭和五一年一月一日、国名が民主カンボデイアと変更された。しかし原告は以上の事実を、その当時、全く知らなかつた。

3 昭和五一年一二月二一日、前記1の合意に基づき、クメール共和国駐日全権代理大使カオ・ハン・キエから被告東京法務局港出張所に本件土地の所有名義人についてカンボデイア王国からクメール共和国への国名表示変更登記及び本件土地の原告への所有権移転登記手続が嘱託され、同所登記官は、同日、同所受付第二九一〇二号、第二九一〇三号をもつてこれを受理し登記した(以下右のうち所有権移転登記を本件登記という。)。原告は本件登記をなすため、被告に対し、登録免許税として金二七五三万一三〇〇円を納付した。

4 ところが、その後、被告外務省から原告に対し、本件登記の抹消に同意して欲しい旨の強い要請があつた。同省は、本件登記当時クメール共和国は既に存在していなかつたのであるから、本件登記は受理さるべきでなかつたもので、当然に無効であり、職権で抹消することもできる旨主張し、被告が外交上困つているからとして原告に協力を求めた。そこで原告は右要請に応じることに決め、抹消に同意した結果、昭和五二年七月二〇日、同省の嘱託により本件登記の抹消登記がなされた。

(被告登記官の過失行為及び原告の損害)

5 本件登記の嘱託当時、登記義務者であるクメール共和国は既に存在していなかつたのであり、また、不動産登記法(以下不登法と略す。)三五条一項五号に定める嘱託者の代理権限を証する書面の提出もなかつたのであるから、本件登記の嘱託は、同法四九条二号、四号、六号、八号のいずれかに該当するものとして却下されるべきであつた。しかるに本件登記の嘱託を受けた被告東京法務局港出張所登記官は、嘱託書の名義人であるカオ・ハン・キエの肩書が「クメール共和国駐日全権代理大使」とされていたことから、それが外国の外交使節団の長の肩書として先例がないものであることに照らし、約一ヵ月を要した調査期間中に被告外務省等に照会すればその真偽が容易に判明したのにかかわらず、漫然右嘱託がクメール共和国の外交使節からの真正な嘱託であつて、何ら却下事由に該当しないと判断した過失により、これを受理して登記をなし、その結果原告に対し、右登記嘱託が却下されていれば原告に返還されたであろう登録免許税額二七五三万一三〇〇円相当の損害を与えた。

6 よつて、原告は被告に対し、国家賠償法一条に基づき、原告が被告に納付した登録免許税額である二七五三万一三〇〇円相当の損害の賠償と、右金員に対する本件訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項は不知

2  請求原因第2項のうち、同項記載の日時にクメール共和国政権が崩壊してカンボデイア連合王国となり、さらに国名が民主カンボデイアと変更されたことは認め、その余は不知

3  請求原因第3項は認める。

4  請求原因第4項のうち、外務省から原告に本件登記の抹消に同意して欲しい旨申し入れた事実、原告がこれを承諾し、その結果原告主張の日時に本件登記の抹消登記手続がなされた事実は認め、その余は否認する。

5  請求原因第5項のうち、「駐日全権代理大使」なる名称を用いて登記嘱託がされた先例のないことは認め、約一ヵ月の調査期間があつたとの点は否認し、過失についての主張は争う。

三  被告の主張

1  不登法四九条二号にいう「事件カ登記スヘキモノニ非サルトキ」とは、登記の申請がその趣旨自体において既に法律上許容できないことが明らかな場合をいう。そして、右要件の存否の審査については、申請にあたつて提出された書類とこれに関連する既存の登記簿だけを資料として行う、いわゆる形式的審査主義が採用されているところ、本件登記の嘱託書の記載上、その嘱託の内容は昭和五一年一二月一〇日売買を原因とするクメール共和国から原告への所有権移転登記であるから、その趣旨自体において法律上許容できないものではない。従つて右嘱託が不登法四九条二号に該当するとの原因の主張は理由がない。

2  一般に、外国使節団の長は接受国において派遣国を代表するものであるから、外国の所有不動産の処分に伴う登記手続が当該外国の外交使節団の長から嘱託された場合は、右嘱託については不登法三〇条、三五条三項が準用されるべきであり、同法三五条一項五号所定の代理権限証書を提出する必要はないのである(昭和三六年一月六日民事甲第三三三九号民事局長回答・通達)。本件登記について、登記官はクメール共和国の駐日全権代理大使の嘱託によるものと判断して処理したのであるが、前記のとおり登記官の審査については形式的審査主義が採用されているところ、本件登記の嘱託書の記載上、嘱託者はクメール共和国の駐日全権代理大使であることは明らかなのであるから、本件登記嘱託は不登法三五条一項五号、四九条第八号に該当するものではなく、登記官の右判断には何ら過失はない。

第三<証拠略>

理由

一  本件登記の嘱託の経緯

1  次の事実は、当事者間に争いがない。

(一)  昭和五一年一二月二一日、被告東京法務局港出張所は、クメール共和国駐日全権代理大使カオ・ハン・キエ名義で、登記簿上カンボデイア王国の所有となつていた本件土地につき、所有者をクメール共和国とする登記名義人表示変更登記及び原告への所有権移転登記(本件登記)の嘱託を受け、同出張所登記官はこれを受付、調査のうえ登記簿に記入した。原告は右登記手続に先立ち、本件登記に要する登録免許税二七五三万一三〇〇円を被告に納付した。

(二)  ところが、右登記がされる以前の昭和五〇年四月一七日、本件登記の登記義務者であるクメール共和国は政権が崩壊してカンボデイア連合王国となり、さらに昭和五一年一月一日国名が民主カンボデイアと変更されていた。

(三)  右移転登記手続の後、被告外務省から原告に対し本件登記の抹消に同意して欲しい旨の申し入れがあり、原告がこれを承諾した結果、昭和五二年七月二〇日、錯誤を原因として本件登記の抹消登記手続がなされた。

2  <証拠略>によれば、本件登記の嘱託にあたり、クメール共和国駐日全権代理大使カオ・ハン・キエ名義の登記嘱託書のほかには、同人の代理権限を証する格別の書面が添付されていなかつた事実を認めることができる。

二  登記官の過失行為の存否

1  原告は、本件登記当時クメール共和国は既に存在しなかつたのであり、また登記の嘱託にあたつて不登法三五条一項五号に規定する代理権限を証する書面の添付がなかつたのであるから、同法四九条二号、四号、六号、八号のいずれかの事由により本件登記の嘱託は却下されるべきものであつたとし、これを前提に、被告外務省等に照会することをせずに右嘱託を受理して登記した被告東京法務局港出張所登記官には過失がある旨主張するので、以下検討することとする。

(一)  不登法四九条二号に関して

本件登記の嘱託時である昭和五一年一二月三日に、登記義務者であるクメール共和国の政権が既に崩壊していて、政府の交替により国名が民主カンボデイアと変更されるに至つていたことは、前述のとおりである。しかしながら不登法四九条二号に言う「事件カ登記スヘキモノニ非サルトキ」とは、登記申請がその趣旨自体において実体法上ないし登記法上許容すべきでないことが明らかな場合を指し、登記申請の内容と実体的権利関係とが一致しない場合までを含むものではない。けだしこのように解しなければ、登記官に実体的権利関係についてまで審査の義務を課すこととなつて登記官に過大な負担をかけるばかりか、登記事務の迅速な処理を防げ、不動産取引の円滑に重大な支障を及ぼすこと明らかだからである。

これを本件についてみると、登記申請(登記嘱託)の趣旨は売買を原因とする土地所有権移転の登記であり、かつ既存の登記事項と牴触する等の事情もなく、実体法上及び登記法上拒否すべき事由は何ら見当らないのであつて、不登法四九条二号に該当しないことは明らかである。

(二)  不登法四九条八号に関して

原告は、本件登記の嘱託においては、不登法三五条一項五号に規定する代理権限証書が添付されていないので、同法四九条八号にいう「申請書ニ必要ナル書面又ハ図面ヲ添付セサルトキ」に該当すると主張する。

前記認定のとおり、本件登記嘱託には、クメール共和国駐日全権代理大使カオ・ハン・キエ名義の登記嘱託書のほかに、同人の代理権限を証する書面は添付されていない。そこで、本件では、代理権限証書の添付を免除している不登法三五条三項の準用が認められるか否かが問題となる。

一般に外国がその代表使節を通じて、その所有する不動産に関する権利につき登記を嘱託する場合においては、不登法三五条三項が準用され、同条一項五号所定の代理権限証書の提出義務が免除されると解すべきである。けだし国の官庁と外国の使節とは、等しく国家機関として両者を区別する理由に乏しいばかりか、国際礼儀の見地からも、ことさら代理権限証書の提出を要求するのは必らずしも相当としないと思われるからである。被告が援用する昭和三六年一月六日民事甲第三三三九号民事局長回答並びに各法務局長、地方法務局長宛通達は、米国不動産の処分を米大使から申請する場合、不登法三〇条の取扱に準じて処理すべきものとし、さらに当該大使の申請権限を証する書面の添付を不要としているが、これは右の理由で適法妥当な指針ということができる。

ただ、不登法三五条三項は、本来、同項に明示されているように、「命令又ハ規則ヲ以テ指定セラレタル官庁又ハ公署ノ職員」に限り代理権限証書の添付を免除しているにとどまるので、法規をもつてかような職員を指定されていない外国の場合は、いかなる者を右に準じて扱うかが問題になる。本件にあつては、登記嘱託書の名義人の肩書が「駐日全権代理大使」であつて、一般に用いられる「大使」、「公使」ではないところから、直ちに不登法三五条三項を準用しうるかどうかを問題とする余地があるかのようである。

思うに、いかなる肩書の名義の嘱託があつた場合に不登法三五条三項が準用されるかは、前記の同条同項の準用の趣旨に照らして判断すべきであり、必ずしも「大使」、「公使」の名称に限らず、一般人の通念に照らして、外国の代表使節であると観念しうる名称を用いれば足りると解すべきである。

しかるところ、「駐日全権代理大使」との名称は、一般社会通念に照らし、外国において国家を代表する使節としての資格を表示した名称に該当すると考えられるから、本件登記嘱託については不登法三五条三項の準用があり、代理権限証書の添付が免除されるものというべきである。

そして、他に添付すべき書面又は図面の不備も認められないので、本件登記の嘱託は不登法四九条八号に該当するものではない。

(三)  不登法四九条四号及び六号に関して

原告は、本件登記の嘱託が不登法四九条四号にいう「申請書カ方式ニ適合セサルトキ」又は同条六号にいう「申請書ニ掲ケタル登記義務者ノ表示カ登記簿ト符合セサルトキ」に該当する旨主張するが、原本の存在及び成立に争いのない<証拠略>の記載によれば、登記申請書(登記嘱託書)に方式の不備がないことは明白であり、右証拠及び成立に争いのない<証拠略>によれば、登記簿上の名義人の表示と登記申請書(登記嘱託書)上の登記義務者の表示に食い違いがないことも明らかであるから、本件登記の嘱託は不登法四九条四号にも同条六号にも該当しない。

(四)  その他の却下事由について

不登法四九条は、登記申請の却下事由を限定列挙しているものと考えるべきであるが、以上に判断した同条各号以外の却下事由を検討してみても、本件の登記嘱託が何らそれらに該当していないことが明らかである。

よつて、本件登記の登記嘱託を却下しなかつた登記官の所為には何らの違法もなく、登記官に過失行為があつた旨の原告の主張は、すべてその前提を欠き、理由がない。

三  以上の理由により、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 南新吾 大渕武男 林正宏)

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